第42回 東京平和集会 ご報告

 7月20日、東京都千代田区の金光教館で「戦後80年 語り継いでいく記憶―東京大空襲 終わることのない戦争」をテーマに開催しました。
 初めに、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が製作した「東京空襲ってなに?」という映像を上映し、1945(昭和20)年3月10日未明、米軍の焼夷弾で多くの東京下町が焼き払われ、約10万人が犠牲となった東京大空による惨状や歴史的な経緯を学びました。
 続いて、同資料センターで空襲の体験を語り伝える二瓶治代さん(当時89歳)が「あの時を生きて」と題して講演。
 二瓶さんは今回の依頼を受け、母方の祖父が金光教で葬儀をした時の光景を思い出したと本教とのゆかりを紹介した上で、「大空襲に遭ったのは8歳の時でしたが、もう忘れることができません」と話を切り出しました。

 強い季節風にあおられた炎の渦と無数の火の粉の中を家族と逃げた二瓶さんは、その最中、逃げ惑う親の背中で燃えている赤ちゃんや、炎に包まれたまま立ち尽くす荷馬と馬方さんの姿を目の当たりにした。逃げていた二瓶さんの防空頭巾にも火がつき、父親に「頭巾をとれ!」と言われ、つないでいた手を離した拍子に、炎の風にあおられた二瓶さんは吹き飛ばされてしまった。若草色の大好きな防空頭巾は真っ赤に染まる空に、あっという間に消えていった。
 その後、途中でうずくまるように倒れて気を失った二瓶さんは、下火になった町に何もなくなり、辺りが明るんできた頃、重なり合う人の一番下から父親によって引きずり出された。ふと見ると、折り重なる人たちはみんな真っ黒になって焼き死んでいた。その人たちに守られるように二瓶さんは命を救われた。

 最後に、二瓶さんが「私たちが戦災体験を語るだけでは、戦争の抑止にはなりません。聞いてくださった人が、戦争への想像力と他者への思いやりにつなげ、何か行動を起こす時に大きな抑止が生まれます。そして言葉の力、語り継ぐことで、不戦を続ける日本を未来の世代に手渡していってほしい」と呼び掛けました。
 引き続き、3人の信奉者が「私たちの問題として考える」をテーマに、無差別爆撃の国際法上の違法性や、日本軍も当時、中国に空襲を行った加害の事実、金光教教団が戦闘機献納など戦争協力をした事実に関して発表を行った後、金光教東京平和宣言2025が発表しました。
 その後、参加者は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に移動し、嶋田所長を祭主に戦争死者慰霊・平和祈願祭が仕えました。
 祭主は祭詞を奏上し、私たち一人一人が、国家・人種・宗教の枠を超え、互いに尊重し合い助け合いながら、神様のお嘆き、戦渦で亡くなられたみたま様の悲しみを忘れることなく、世界の平和と人類の助かりの実現に取り組めるよう祈りをささげました。

↓こちらは今回の平和宣言です。

第42回金光教東京平和集会

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